To The City of Sloe Gin Fizz

翻訳、英語、海外移住、国際結婚などについて。

「他人の身体」をめぐる日本の文化、アメリカの文化

身体感覚・パーソナルスペースをめぐるカルチャーギャップ

国際恋愛をテーマにしたブログには、しばしばお互いのカルチャーギャップについての記事がある。そういうのを読むのが結構好きだったりする。

例えば、国際恋愛ブログ「International Love」にはこんなエピソードがある。

 

international-renai.com

 

日本では相手の肩にゴミが付いていたり、髪の毛に何か付いていたりすると、サッと取ってあげて「ありがとう♡」みたいな流れがキュンキュンするところかと思います。

 

そんな概念で彼に同じことを数回したら嫌がられました…。」

こういう、知らないうちに相手のパーソナルスペースを侵食してしまうパターン、特に欧米圏のパートナーと付き合っている人は一度は経験しているんじゃなかろうか。私にも似たようなことがあった。

ファッションにまったく気を使わない私の彼氏は、夏には着古しすぎて地肌が透けるようなてろってろのTシャツを着ている。私が一度「それもう破けそうじゃん、そろそろ新しいの買った方がいいよ!」と言ったところ、「ハルには関係ないだろ、Mind your business!」と言われてしまったのだ。

後でわかったのだけれど、そのてろてろTシャツは本人がとても気に入っているものだった。「自分が持っている服の中で、これが一番cozy(落ち着く、快適)」なんだそうだ。こちらからはただの着古したTシャツに見えても、彼の身体の感覚に深く結びついた、大事なものだ。私はTシャツを否定することで、知らないうちに彼の身体感覚を否定してしまっていたのだ。

アメリカ人の「私の身体は私のもの」という基本認識の深さ

とはいえやっぱり、「Tシャツ買い替えなよ」と言って「放っておいてよ!」というほどの強い反発を食らうことは日本人相手だとちょっと想像しにくい。身体に関わることへの言及の重さは、日本とアメリカだとまったく違うように思う。アメリカでは、他人の身体にコメントすることは、個人の内側に土足で踏み入るような侵襲的な行為である、というコンセンサスがあるんじゃないか。そう思わせるような経験が、彼と付き合っている中でいくつかあった。

たとえば。私は子供のころから体が弱くてしかも太り気味なので、うちの母はいつも私が太りすぎることを恐れていた。私が実家に顔を出すたびに私の体重を尋ねたり、「ちょっと太ったんじゃないの」「ちょっとやせたわね」と一喜一憂していたのである。

学生の間は「母親とはそんなものだ」と思ってさほど気にしていなかったが、さすがにこの歳になってまで体調に干渉されると少し鬱陶しい。私が彼氏にそのことを愚痴ると「『これは私の身体! 私の身体は私のもの! だからそんなこと言わないで!』ってちゃんと怒るべきだ」と言うのだ。

思えば彼氏は私の身なりや、太っているとか痩せているとか、そういうことに対する希望めいたものを一切述べたことがない。男の人が自分の彼女について「こんな服を着てほしい」「メイクは派手にしすぎないでほしい」「痩せすぎていない方がいい」などとコメントをすることはそれほど珍しいことではない。しかし私がそういう希望を訪ねても、彼氏は「太っていても痩せていてもいい、なんの服を着ていてもいい、白髪だって染めても染めなくてもいい、ハルの身体だからねえ」という。

身体や身なりへのコメントがコミュニケーションの一部になっている日本

こういった考え方は私にとっては非常に新鮮だった。考えてみてほしい。初対面の人や目上の人、仕事上のお客さんなどはともかく、自分の親しい相手、あるいは自分から見て目下の相手に対して身体や身なりについてのコメントをするのは「普通のこと」になってはいないか。

自分の恋人に「おなかが出てきたんじゃない」という、幼馴染の悪友に「お前ちょっと生え際あやしいんちゃうか」と言う、自分が面倒を見ている部下に対して「最近化粧に手を抜き気味なんじゃないの、もっと丁寧にしなさい」と指導する…。特に私の母親のように、自分自身の身体と自分の子供の身体を区別できない親は多いのではないか。

ツイッターでは海外在住者や海外経験のある人を集中的にフォローしているんだけれど、そこでも頻繁に「海外の人と話すときに身体の特徴や身なりにコメントしてはだめ!」という話が出てくる。これも、日本でどれほど身体への言及が普通のことになっているかの裏返しじゃないだろうか。

私は、日本ではお互いの身体にコメントすること、もっと言えば身体性を侵食し合うことこそが親しさの証であるとする文化があるんじゃないかと思う。「裸の付き合い」という言葉があるけれど、相手の身体をじろじろと眺めてさまざまにコメントするのが、いわば日本人の概念的な「裸の付き合い」なんじゃないのか。

今後オリンピックなどもあって、海外からの旅行者は増える一方だと思われる。特に欧米圏からの旅行者との間で、この「他人の身体」をめぐる考え方の違いは、今後静かに、しかし大きな問題になっていくのではないかと思う。

遠距離恋愛のコツ?

※自分語り+のろけ記事です。

「遠距離恋愛のノウハウ」

 国際恋愛してる人ってどんなことを考えてるんだろう、と思ってツイッターをうろうろしていると、「遠距離恋愛が続く秘訣は?お教えします!」みたいな記事を書いてる人がそこそこ目につく。

遠距離恋愛が続く秘訣!
それにノウハウとしての需要があるっぽいのがすごく面白い。私なんかはどちらかといえば、続くか続かないか、それはもう人それぞれだろう、と思うんだけど、でもやっぱりいろいろんな人にとって遠距離恋愛は不安なもので(遠距離恋愛だと続かないよ、などと周りの人から言われることもあるのかもしれない)再現性のあるノウハウを求めてしまうのかもしれない。
たしかに遠距離恋愛は、愛や熱意があればなんとかなる、というものでもない。そもそも愛情や熱意は人間の感情の中でも、もっとも移ろいやすいものだろう。そのうつろいやすいものを保ち、育てていく努力―とはいかないまでも、何らかの気持ちの調整―には、やはりコツがあるような気はする。

私たちは遠距離はあまり意識していない

考えてみたら私だって夏からかれこれ5ヶ月以上、太平洋を挟んでなかなかの遠距離恋愛をしている。彼氏とは一日に一度は必ずメッセージを交換している。彼が寝る前には(こっちでは夕方ごろ)、おやすみのメッセージをくれる。時々お互いに時間が合えばビデオチャットをする。
遠距離恋愛だから続くとか続かないとか、考えたことがない。ほぼ日常の一部だ。もちろん、相手に会えないことでとてもさみしく感じる時もあるけれど、続かないかもしれないという不安は抱いていない。どうしてなんだろう。人それぞれ、というのはまあ前提として、他のブロガーさんの真似をして、あえて少し一般化して書いてみるのも楽しいかもしれない。

1. 遠距離に入る前に関係を安定させる

基本的には、これに尽きると思う。日本で1年半付き合って、彼が帰国を決めた時点で私から一度プロポーズし、じゃあ結婚する方向で諸々を調整しましょうか、ということになってからの遠距離だった。
よく言われる話として、恋愛のハラハラドキドキ、ときめきの感情が持続するのは3ヵ月が限度だという。それを過ぎたら、冷めたり倦怠期になってしまう別れてしまう人と、だいたい関係性が安定してくる人とに分かれる。
というわけで、多分遠距離になるのはある程度長く付き合った後の方がいい。それから、何らかの事情から遠距離になる人はさっさとプロポーズしてしまおう(無責任)。

2. 何でも正直に話し合う

彼は私がこれまでに出会ったどの男性よりも正直な人だった。過去の女性遍歴、性癖、あまりポリティカルにコレクトじゃない考え、結婚を決めた時の不安、何もかも包み隠さず、わかりやすい言葉で丁寧に話してくれた。こんな人と一緒にいると、こちらも自然と正直になるものだし、信頼関係も無理なく生まれる。
相手に正直になれるから信頼関係が生まれるのか、信頼があるから正直になれるのか…そのあたりは卵とにわとりのようなところがあるけれど、遠距離になるなら、基本的には先に洗いざらいぶっちゃけてしまうのが、手っ取り早いような気がする。そう考えると、物事を言語化する能力を普段からつけておくことも重要になってくるだろう。

3. 浮気の可能性は割り切って受け入れてしまう

彼には「別に好きな人ができたら相談して、私もそうするから」と言ってある。人間、いつなんどき、どういうきっかけから心変わりするかは誰にも―本人にも―わからない。どうせわからないのだから、相手に他に好きな人ができた時、あるいは自分が心変わりした時の対応策を先に決めておくことだ。
最悪の事態を想定してその時にどうするかを決めておく、というのは、人一倍不安感の強い私が昔から心がけていることでもある。かなり気持ちが安定するので、恋愛以外の場面でもこの考え方はおススメだ。
 
そういうわけで、この記事が遠距離恋愛に心揺れている誰かの何かの参考になればいいなと思う(なるのか?)。